ゲームのおかげですね。今の私がいる?!気晴らしはゲーム
私はこの歳で、ゲームが好きです。(そこそこおばちゃんです。)
今でも、忙しいのに暇があればスマホでゲームをしています。
私がゲーム好きになったきっかけは、かーこ(母)の仕事。
私が小学生の時からかーこが近くのスーパーマーケットに勤めだしました。
スーパーマーケットも出来初めで、近くに イズミヤ ダイエーと
2店出来てイベントで、歌手を招待していた時代です。
ダイエーでは、
南さおり 西城秀樹 堀ちえみ とか来ていて いつも見に行っていました。
文化会館にはピンクレディーも来ました。
イズミヤはそこまで出来なかったか、仮面ライダーショーとか桂三枝サイン会とかでした。
そんな時代、かーこは屋上階のゲームセンター(遊技場)に勤めてたんです。
子供にとっては最高ですよね。
その頃は、綿菓子作る機械があったり、20円で乗り物があったり。
フリッパーってピンボールゲームがあったり、ジュークボックス(歌の自動販売機)がありました。
1976年頃から、「ブロック崩し」が流行ってきて
1979年頃にはみんな知ってる
それから、「1942」「ゼビウス」「ギャラガ」「「クレイジー・クライマー」
ファミコンが流行っても、いつも店で遊んでました。
まぁ この頃はあまりはまってませんでした。
そのあと、かーこが今度は違うゲームセンターで働き出したんです。
その頃は私も大きくなっていたので、手伝いをしていました。
いわゆる ゲーセン というもので遊び来るのは主に中学生、高校生の男子。
悪そうな風貌ですが、実はみんな孤独ないい子ばかりでした。
みんなかーこになついていて「おばちゃん。お土産!」っと学校帰りにパンとかお菓子を買ってかーこに持ってきていました。
母親のいない子や、父親のいない子などが多く、みんな寂しかったのでしょうね。
かーこは子供たちの人気者でした。!(^^)!
そんな時、そこにあったゲームが「上海」「麻雀ゲーム」上海ゲームが好きでずーっとやってました。
子供たちは「ストリートファイター」とかコインゲームのスロット
表には、UFOキャッチャーがあってぬいぐるみがいっぱい。
この時、UFOキャッチャーにほんまもんの子猫が入っていて。
「おばちゃん!子猫が入ってるで!」って子供が言いに来て、かーこが鍵を開けて取り出し、そのままうちの子になりました。
名前は「未来」みーちゃんは、きっと呼びに来た子供たちがUFOキャッチャーの取り出し口に入れたんたんだと思います。
それでも、動物好きのかーこは直ぐに飼ったんです。当時ヨークシャテリアのリュウ君がいたんですけどね。
すみません。すぐに脱線してしまいます。
本題に戻すと、そんなこんなでゲーム好き。
私も前々職は、CAD(キャド)やってたんです。設計事務所で橋脚の設計してました。
社長がやさしい方で、いろいろ勉強しました。
暇な時期は、パソコンでゲームして遊んでました。
その当時は、フロッピーディスクの時代で8インチ、5インチ、3.5インチ
大体知ってます。(歳はバレバレですね。)
でも、あの頃は何でも 「出来る」 という自信がありました。
今も「出来る」と思っています。
っていうか「やってみます!」の私ですから、なんでもやってみます。
はてなブログもやってみたら何とかできました。
今、空いた時間にやってるゲームは、「Toon Blast」「猫のニャッホ」
「ナンプレ」「ツムツム」「Unblock Me」などです。
「Pokémon GO」もそこそこしました。
天保山にいっぱいモンスターがいるんですよ。
結構 集めてるともいますが、自慢出来る人が周りにはいません。残念。
なので熱も冷めてきましたね。
まとめ
・ゲームが好きだったのでパソコンが好きになれた
・ゲーム感覚で、WordやExcel、PowerPoint、など出来るようになった。
始めたころは、一太郎からでした。(^^)/
老眼が進んできて少しつらいですが、今は素晴らしく良い時代です。
今年も平和で良い年になりますように、
心から祈っています。
読んでいただいた方、いつもありがとうございます。